穴水町にある能登中居地区は、かつて鋳物で栄えた場所。ここには、9つの寺院や神社を繋ぐ山道を縫うように続く石畳の道の散策コースがあり、これが「さとりの道」と呼ばれています。
本記事では、「さとりの道」沿いにある9院の内5院(地福院、一乗院、明王院、神杉伊豆牟比咩神社、日吉神社)をご紹介いたします。本記事紹介した5寺院以外の4寺院(月光院、医王院、仙慶寺、大龍寺)についてはPart2をご覧ください。
■地福院(じふくいん)■
瑞鳳山 地福院(高野山真言宗)は、大正の戦乱によって堂宇すべて焼失しました。その後、澄盛和尚発願して一同を建立し、前田利家公の援助を得たと寺伝にあります。院内にある本尊弥勒菩薩像、両頭愛染明王はともに鎌倉時代の作として町指定の文化財となっています。
この寺院内から、天気が良い日は美しい穴水湾のボラ待ちやぐらを望むことができる隠れたビューポイントになっています。
施設情報 | 地福院(じふくいん) |
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住所 | 石川県鳳珠郡穴水町中居ワ112-1 |
電話番号 | 0768-56-1678 |
文化財等 | 【鎌倉期 町指定文化財】 弥勒菩薩像、 両頭愛染明王 【町指定天然記念物】 羅漢槙 |
■明王院(みょうおういん)■
剣龍山 明王院(高野山真言宗)は、中居宮崎本家の菩提寺です。天文四年、加賀藩士津田玄蕃、本堂一宇を寄進し、人々の助力もあり、寺門興隆遍照院を併合して今日に至ります。境内地に金毘羅があり、本尊不動王は江戸期の作です。またこの地は、天慶の昔、平将門の乱を割けて北國入りした藤原家高(細木坂東氏の先祖)ゆかりの寺でもあります。
明王院前沿いは、紫陽花の季節になると美しい花を咲かせます。
施設情報 | 明王院(みょうおういん) |
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住所 | 石川県鳳珠郡穴水町中居 ワ−151 |
電話番号 | 0768-56-1107 |
文化財等 | 【室町期】 本尊不動王 三面大黒図絵 金銅聖観音像 【江戸期】 本堂欄間 |
■一乗院(いちじょういん)■
日吉山 一乗院(高野山真言宗)は、創設は不詳ですが乗知和尚の開基と伝えられており、もとは天台宗安養寺の一院であったと推測されています。天正年間の兵火によって、院防、文章などすべて焼失してしまいましたが、近在の方々の助力で一堂を建設し、現在に至ります。
当院は秋になるとたくさんの彼岸花が咲き誇り美しい。
施設情報 | 一乗院(いちじょういん) |
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住所 | 石川県鳳珠郡穴水町中居南1−119 |
電話番号 | 0768-56-1327 |
文化財等 | 【伝泰燈作 秘仏】 本尊延命地蔵菩薩 【江戸期】 木造天神座像 |
■神杉伊豆牟比咩神社(かみすぎいずむひめじんじゃ)■
神杉伊豆牟比咩神社は創建年代は不詳です。鎌倉時代の様式を今に伝える県内最古の社殿延喜式内社であると云われ、武内宿弥が東南諸国か巡周中、祈願のため当地一社を創設し、荒志社となり、和銅2年神杉六所宮と改称しました。当社は、細い道をすすむと正面に鳥居が現れてきます。鳥居をくぐり先に進むと社殿があります。
施設情報 | 神杉伊豆牟比咩神社(かみすぎいずむひめじんじゃ) |
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住所 | 石川県鳳珠郡穴水町中居153 |
電話番号 | 0768-56-1344 |
■日吉神社(ひよしじんじゃ)■
日吉神社(旧村社)の鎮座は、大正年間に上杉謙信の兵火によって文章等が焼失したため不詳です。昔は、この地域の鋳物師、漁師等から「日吉山王権見」と称えられていました。穴水城主長谷部氏から崇敬も厚く、ご祈願所として定められていました。明治41年に奥津比咩神社(釜中神社)、神明者を合祀し現在に至ります。
施設情報 | 日吉神社(ひよしじんじゃ) |
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住所 | 石川県鳳珠郡穴水町中居南2-58甲 |
電話番号 | 0768-56-1647 |
文化財等 | 【一面】 鋳鉄製鬼面 【他七幅】 浄土曼茶羅図絵 |
今回は、下記5寺院についてご紹介しました。
・地福院
・一乗院
・明王院
・神杉伊豆牟比咩神社
・日吉神社
残りの4寺院はPart2にてご紹介します。
さとりの道についてはこちら